「ブラジル移民」 豊かな生活を求め異国へ

登録日:2014年7月24日

ブラジルは日本国外でもっとも大きな日系人コミュニティを築いた国で、ブラジル移民の歴史は古く、1908年に「笠戸丸」が神戸港を出航して最初の日本人がブラジルへ渡りました。奴隷制度が廃止されてから労働者不足を補うべく、多くの外国移民者を受け入れていました。農業経験に長けていた日本人の多くは当時人手不足が深刻化していたコーヒー農園に送られましたが、コーヒーは金の成る木とも呼ばれていた時代で、日本での財産を捨ててまで大成功を夢見てブラジルへ渡る人もいました。
しかし、ブラジルに到着した日本人は厳しい労働条件を強いられ、病気で命を落とす人や農園から逃亡する人も多く、自ら農地を開拓する日本人が現れるようになっていきました。その後、集団入植地や農業組合を形成し、自分たちの生活の場を展開していきます。終戦後日本が戦争に負けたことを信じなかった「勝ち組」と負けを認めていた「負け組」の日系人同士で争いが発生したこともありましたが、日系人の日本への思いはとても強く、日系人独特の文化を築きあげていきました。また、社会的地位の高い職業に就く日系人が多く、医師、弁護士や政界でも活躍し、農業のみならず、ブラジルの発展に大きく貢献しています。

次世代は先祖の国へ

日本では労働力不足を解消するべく、1990年入国管理法が改正され、日系人の三世までは在留資格が与えられるようになりました。それを機にたくさんのブラジル人が日本へ出稼ぎに来るようになり、ピーク時は全国で30万人ものブラジル人が滞在したと言われ、群馬県、愛知県や静岡県をはじめ全国規模で広がりました。特に工場が多い群馬県大泉町は全国でもっとも外国人の人口比率が高く、出稼ぎ労働者のためのお店もたくさんできるようになりました。2008年以降、不況のため多くのブラジル人が帰国を迫られましたが、現在も約20万人のブラジル人が在住しており、自動車産業をはじめとする製造業で活躍しています。また日本で生まれ育った日系ブラジル人も現れ、日本社会に溶け込みながら生活し、製造業以外の様々な分野で活躍しています。


海外移住資料館

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